軍事・武器

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164 :名無しのやる夫だお:2010/04/12(月) 20:22:44 ID:0wLHQIR2
「中国武術事情」:
・「武芸」と言う名前が現れる。今の「武術」に相当。カンフー(功夫 )は、中国武術の総称。
前漢時代(前206年~220年)の黄河沿いから発展。現在に伝わる最古の流派は少林寺の少林拳で
新末後漢初から500年後の南北朝時代に成立。

後漢時代の流派は現代に残っていない。

・「兵技巧」「手搏(しゅばく)」「剣道」などの武術の著作が本になる(現在ではその多くが散逸)。
・刀(画像右。片刃)が剣(画像左。両刃)に取って代わり主要な短兵器になる。
z-12357.jpg

戟(上。前漢初頭との違いは接合部が簡略化)、矛(下)は主要な長兵器となる。
また弩が発展していく。
z-12358.jpg

・漢代における鎧の普及率は40%前後。「中国古兵器論叢」揚泓・著。騎兵同様、鎧はエリートの証。

管理註釈:この頃あった護身術の一つ
「撃剣」
剣を遠くから撃ってあてるもので斬ったり刺したりするものではない。
『漢書』……おそらく手裏剣術かと。春秋戦国末からある技術ですが武器に
当たる物の殆どが宋以降なので、漢代で使える武器はかなり限られてます。
使い捨て武器が少ないのは、鉄が貴重だからかも知れません。

・飛蝗石(ひこうせき:石つぶての意。名前だけは立派)
・圏(けん:刃のついた輪型の武器)
・月牙(げつが:刃のついた月型の武器)
・柳葉飛刀(りゅうようひとう:柳の葉に似た形の小刀)
・天罡劈水扇(てんこうへきすいせん:鉄扇)

管理註釈::塚本史の小説について語るスレだわァ!から引用
487 :233 ◆w1a/4xucQw :2009/01/19(月) 23:29:19 ID:zz/o17zX0

漢で銅虎符(*)の制度が完備されたのは文帝期で、それまでは動乱期ということで
わりと好き勝手に発兵できたのであろうのォ!

ちなみに地皇二年に翼平連率の田況が発兵したのを王莽が「いまだ虎符を賜らずして云々」と
叱責しておるので、新でも銅虎符システムは継承されたことがわかるわァ!

*虎の形につくった銅製の割符。参戦する将軍が兵を徴発する時の証明として与えられた。

             ,..--、__
         ..:´/.:.:.ヽ.:.:.:.`ヽ
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  〈:::::::::/ Vヽト、 '__  厶イ.:リ:.:i
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管理註釈
「孫子」軍争篇より。行軍の作法

1里:414.72m(300歩)
1日の標準行軍速度は30里(約12.4km)=1舎。

・一日に100里(約41.4km)進んで戦場向かえば、到着兵力は10分の1
・一日に50里(約20.7km)進んで戦場向かえば、到着兵力は2分の1
・一日に30里(約12.4km)進んで戦場向かえば、到着兵力は3分の2
3里ごとに休憩。敵前逃亡は死刑。

   /     /     /      /  /  / /
/     /     /     /     /   /
             ビュー   ,.、 ,.、    /   /
    /    /       ∠二二、ヽ    / /
  /    /   /   (( ´・ω・`)) ちょっと田んぼの様子見てくるお
               / ~~ :~~~〈   /
       /    / ノ   : _,,..ゝ   /
    /    /     (,,..,)二i_,∠  /    /



「墨子」雑守篇より。兵糧の作法

年に一人が必要な穀物量は、36斛。一ヶ月3斛。1斛=15キログラム。
9万の軍に一ヶ月必要な穀物量は、穀物20万斛(麦、米)・塩1700斛・飼料25万斛(騎兵の馬用)。
一日の食事は2回。

前漢から後漢にかけての農耕技術では1頃=およそ300斛(4500キログラム)の年間生産量。
1頃=4600平方メートルくらい。

部隊の作法

春秋時代の軍制では、
伍=5人、卒=100人、旅団=500人、師団=2,500人、軍団=12,500人

力の強い諸侯でも三軍=37,500人、天子でも六軍=75,000人
を率いるものと決まっておりました。
これはあくまで形式的なものではありますが。


                             ∧_∧
                             (・ω・`∩)ショボーンしようよ♪
                              (⊃  ノ
                              /( ヽ ノ \
                          /   し(_)  \ ←皇帝
                         /  【ショボーン】 \
                       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
                      //⌒ヽ             \ ←上公
                  ⊂二二( ^ω^)二⊃  ('A`)   (゚∀゚)\
                   /   【ブーン】   【毒男】  【キター】 \
                 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
                / ∧_∧   ∧_∧   ∧_∧.         \ ←三公
               /  <丶`∀´> . ( ・∀・)  ( ´∀`)   ( ´_ゝ`)  \
             /   【ニダー】 .【モララー】  【モナー】   【フーン】    \
           / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄.\
          /             _  ∩   ∧_∧    _,,..,,,,_               \ ←九卿
        /  ( ゚д゚ )     ( ゚∀゚)彡   (* ‘ω‘*)   / ,' 3 `ヽーっ  m9(^Д^) \
       / 【こっち見るな】  【ジョルジュ】 【ちんぽっぽ】   【荒巻】   【プギャー】  .\
       ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


[武官の階級]ヤフー知恵袋から引用

大司馬
:太尉が武帝の頃に大司馬と改名。一番エライ。主に戦乱時のみ設置。

大将軍
:平時の軍の一番エライ人。三公よりも上。品秩1(階級)。

驃騎将軍・車騎将軍・衛将軍
:三公よりも下。品秩2。
(ほかに南中大将軍とか輔国大将軍とかあるが、非常設)

征東・征南・征西・征北(以下、○東南西北と略します)、鎮東南西北
:四征・四鎮と呼ばれる。それぞれ地方に駐在し、軍を統轄する方面軍指揮官。品秩2。

安東南西北、平東南西北
:同じく方面軍指揮官。品秩3。

前後左右の各将軍
:伝統的な名称で、大臣と同じくらいの立場。品秩3。

征蜀将軍・征虜将軍・輔国将軍・度遼将軍などなど
:特別な任務に応じて任命されることが多い。伝統的な称号もある。品秩3。

以下、雑号将軍
:名前はまちまちで、とにかく種類が多い。同じ雑号でも、官位の高低や
伝統的称号かどうかで立場が違うこともある。

こんなところでしょうか。
ややこしいことに、品秩が低くても伝統的称号
(牙門将軍・偏将軍・裨将軍・伏波将軍など)のほうが喜ばれたりすることが
ありました。若くして伝統的称号を与えられればエリートとして将来を
嘱望されていると言えますし、長年働いてきたけど出世できなかった
ベテランが名誉として任命されることもあったようです。

なお、将軍号とは関係ありませんが、近衛を統轄する領軍・護軍・校尉などの
役職もあり、独自の権限を持っていました。

管理註釈:
文官との階級の兼ね合い、俸禄は不夜城帝国さまの百官公卿表地方官制・その他を参照に。

           _
          〈' '__ ヾ/>
           `)_,) ゚ 彡
           `フ^  ミ         i、
           /   ゙ミ  ∧_∧   .||
             /,/^ヽ、 ツ ./\エロノゝ  ||     
      /´ ̄ ̄´/ ヘ Vヘ /ミ√・∀・) _||_
      / ,/ ̄`ヽi,_,」 i、  !ど{゚;';';゚;{ァ'^つミ!
     .l i    ヽ、  - ヘ/三/|二i
     ヽ`7     〉    (´_,ノ ̄
      `'     /      ゙i、       `)ヾ
           /        'i、、ノ⌒ミ彡シ'
         /           iミミ彡'´
          |    /^ヽ     |
         ゝ、,_,.ノ^フ ヽ,_,ノヘ
            / /      'i, 'i,
           _/ /       ゙i_ 'i
          /_/´      /_/´



[俸禄一考]
374 :233 ◆w1a/4xucQw :2009/01/03(土) 23:00:34 ID:Gd0URuSZ0
執金吾(新の官制では奮武)は中二千石の官であるわァ!
漢では官の等級を俸給の額で表現しておってのォ!

たとえば二千石は年に二千石の穀物(おおざっぱな数字だがのォ!)
が支給される地位なのだわァ!

もっとも前漢も後半では俸給は穀物ではなく銭で支払われるように
なったのだがのォ!

それはともかく、漢の官位のトップは万石、これは宰相クラスだわァ!
ついで中二千石、これは九卿と呼ばれる閣僚クラスの官位だのォ!

九卿にはいろいろなカウント方法があるのだが、ここでは
触れぬことにするわァ!

要するに執金吾とは閣僚クラスの顕官であるわけだのォ!
しかも劉秀の家系は父が県令(六百石~千石)、祖父が尉
(比二千石)、曾祖父が太守(二千石)と、
一度も中二千石の官に就いたことがないのだわァ!

すなわち劉秀が執金吾の地位を本気で望んでいたとしたら、
ちょうど明治の若人が青雲の志を胸に抱いて
「末は博士か大臣か」と嘯いたのと同じような思いであったということよのォ!
ただの戯れ言気分で言ってみただけかも知れぬがのォ!

管理註釈:
在位期間については兩漢魏晉學庵さまの後漢三公表にて。
<非、常設官>
大司馬=後漢初時の太尉。
大司徒=後漢初時の丞相。非、常設官。
太傳=天子の教育係。
<常設官>
司空=水産、土木、司法の最高責任者。
司徒=内政の最高責任者。

後漢の兵役制度
(秦王朝の商鞅が発案した変法と違いが無い様に思える)
・材官(弩兵)
・騎士(騎兵)
・軽車(戦車兵・馬車か装甲車)
・楼船(水兵)

23歳で専門兵となる者は京師(首都)で一年の任務。
仕官希望者は毎年8月に都試で査定。




           / ゙̄ヽ.             l;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;l;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;l
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         , ':〈   / リ           ム;:''"´ ̄__;:;|;:;_~`丶、!
        , '  `''''"  /           ,{__, ィ''"´ r‐っ  ̄ r-、丶、;:;l
       , 'ヽ,ヽ、,,::'" , '           ,'ミミ:::::ゝ , .  ̄:.    ``′,}:`i!    
       /  ~'ー彡 /           ,'ミミ:::/ ,. -‐- 、:.   , - 、ヾ:::l     
       /    彡 /           lミ:::::' ,:' ,ィニ>,:' : ィゝ、゙i::l
 ,,,,,, ,,'"/     ,'  /            〃ヘ:::j :.  ‐ '" ,. ヽ` ニ   !:l
"  ゙ヽ, '    ,, '" /            {に}ハ::, :.:.:.:..   (r:、 ,、〉    l:ハ
   , 'ヽヾ、ミ 彡:: /             ヽいjl::', :ヽ    ,' ; ヽ  ノlノ}
  , ' ヽ\、,,,ソ::. /              丶-ltツ .:.: l:.:  ,r'ニ=ニ、 ゙i,   i_ノ
::/"    :::::::: ,イ                 l  、:.:.l:.:  ` ''―''" 、 /
"::     :::::: /゙tt,ヽ,,,,,,              ト、、ヽ丶、:.:..   ノ:/
::.    ::::::::::::/ ,,、-'" ヾ`' 、           ,(ニヽミミ=、、::.::.::.::''"/
     .:::::::::::,、 '"      \,',         /:.:.:.`ヽヽ、:.:.:  ̄  ,!
    :::::,、-'"        :::リ  ___,,r―'‐-- 、、:.:\\:.:.:.   l、
    ''"          ::: "/"´⌒丶:::::::`ヽ、``ヽ、::::::`ミニゝ丶、  八

●新・王莽軍団の再評価。意外に凶悪な部分

■中国の年代別、掌握人口(*難民、豪族に囲われてた奴隷とかは除外。

春秋戦国:およそ各国200~400万前後。
秦末:約2000万
前漢:59,594,978
新:約6000万 *前漢をほぼ無傷で簒奪してるので
後漢:56,486,856
三国:三国合計、約770万
晋:約1600万
唐:52,919,309
宋:46,734,784
元:59,519,727
明:62,361,424
清:426,447,325 *清は人頭税を廃止したので他時代より隠匿人口が顕わに。

国力だけなら掌握人口約6000万人の新は侮れない存在。
平時は人口の十分の一を兵力にするから:600万人
戦時なら人口の十分の四を兵力にするから(経済に支障を来たすレベル):2400万人
遠征可能な兵力:30~100万人


[匈奴との戦い再考]
17 :無名武将@お腹せっぷく:2009/01/05(月) 06:47:24

王莽自身の軍事戦略については俺も匈奴戦の五路進軍が
「兵力の分散じゃね?」と最近まで思っていたんだが、

近代兵学の本を読んだら、大軍の場合、目的地に向かって一路だけで進軍すると、
遊兵が戦線後方に出来るため、結局前線では寡兵で戦うことになるから
よろしくないらしく、*先頭しか戦えないため

大軍で複数の道が同じ目的地に向かって伸びている場合、
複数にわけて進軍するのは望ましいことなんだそうな。

だから、絡め手で政権奪ったあげく、一代で滅んだために散々けなされて
甘く見られがちだが、彼は割とバカにできないよ。
バカに出来ないというか、むしろかなり先進的な思考をしている。


                              ‐=≡ ∧_∧
      /⌒!                   ‐=≡   (´Д`  )
     (_ ( ク     ∧_∧        ‐=≡(  ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ ヽ⌒ヽ
      \ \   (  ´Д` ) 、ヽ从 /   ‐=≡  ̄ ̄ ̄ ̄ \ヾ イ  |
       ‐ \_ ̄ ̄7    `⌒ヽ    ;  . ‐=≡‐=≡; :  ))) |  |
         =  ̄ ̄|    八  ノノ′  . :  ,   ‐=≡  /   |  |
        .  _ = |    | .// W ヾ     ‐=≡  / / /し丿
    .  _ = ._ ~ヽ|__/ イ        ‐=≡ / / /
    __ = ( ̄ (______/Y     ‐=≡   / / /
    _ =  |  )ー―‐(   丿     ‐=≡ ( ̄ / /
     、 、. |  .|     \っ \  `:ヽ  ‐=≡  ̄(__/
  ( ヽ: _丿 ヘ.  ` ;   \ \ ⌒/ ヽ
(´ \.从(___) /`)  (、へ(__⌒_)从人/ ;`)
 ̄              ̄    ̄      ̄ ̄ ̄


[昆陽の戦い再考]
487 :233 ◆w1a/4xucQw:2009/01/19(月) 23:29:19 ID:zz/o17zX0

支那の都市が城壁に囲まれていることは諸君もご存じであろうのォ!
あちらの城攻めはそれこそ数ヶ月から数年にわたるケースすらあるのだわァ!
ということで吾輩の想像する王邑の戦略とは以下のようなものであるわァ!

まず洛陽の四十二万から精鋭を選抜し、宛を包囲する更始軍の主力を
叩くことは避けて 潁川郡の別働隊に力攻めで勝利し、賊軍には断固たる姿勢を
見せることで敵の士気を沮喪させ、しかる後に昆陽を拠点として軽騎兵を
繰り出して更始軍の糧道を断ち、 敵が完全に疲労困憊したところへ満を持して
洛陽の御留守番部隊も含めて全軍突撃するのだわァ!

これぞ孫子の「近きを以て遠きを待ち、佚を以て労を待ち、飽を以て飢を待つ」
を体現した大戦略よのォ!

さて、王邑が持久戦を考えていた場合、荘尤の遣策はまったく別の色彩を
以て立ち上がってくるわァ!
「昆陽を捨て置いて宛を衝け」と言う荘尤の主張は、まさしく周亜夫に
救援を要求した梁の悲鳴と全く同じ意味を持っておるからのォ!

戦史も読まず戦略も知らぬ小僧っ子のわめきとして王邑には
聞こえたのではないかのォ!
あんまり知られておらぬのだが、実は王邑の戦歴は荘尤の
それよりも古いのだわァ!

もし王邑が最終的に更始軍に勝利して新が二世・三世の長きにわたる
ようなことがあれば、やはり昆陽の戦いも呉楚七国の乱のような語られ方で
歴史に記されたと思われるわァ!

もちろんその場合、王邑は最初から最後まで全てを見通していた
神智の名将として、荘尤は一を知って二を知らぬ小賢しい喧し屋として
設定されていたであろうのォ!

しかるに王邑は破れたわァ!

そして周亜夫は前漢を代表する名将の一人として青史に令名を輝かせ、
王邑は史上稀に見る愚将として後世の人の嘲りを受け続けておるわァ!

将才とはとどのつまり結果でしか判断できぬということよのォ!
悲しいのォ! 悲しいのォ!


43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/13(土) 18:33:42 ID:cIryiWwF0 (2 回発言)
最初の1000程の寄せ集めにであれば 「数倍もの兵を当てれば大丈夫だろう」
ってことで数千を当てたのは極めて正常な反応。

そのあと劉秀が残りと合流して3000になった時、慌ててまた三倍程度しかない
1万を当てて大司徒王尋を斬られた判断が問題だな。

テキ義だったかを討伐したときは無難にこなしたようなので、完全な愚将ではないが
トリックプレイに弱い傾向があるように思う。案外奇襲には弱いかもわからん。




                               .//    ∠
                            ,__//    //}
                          /(、二)    ///
                         /r",- 、   r ´/ヾ
                        /⌒{_ {_ _ヽ (コ// )
                        `ーっヽ二,ノ/戸! rぐ
                          i_rヽ /lr、//,イ
                          /J´ /// .,!ヽ
〈《二,ー 、                    // / ,,.-,〈,,,/  ヽ
   ヾヽ~`'ー 、              // /  /ノ r^;    〉
    ,!ヽ    ~`'ー 、       .// /   {´ ノ  l、  /
    `, ,!        ~` 'ー、,,,,,,// /  /`ー´     ̄
     `,ヽ           ./>-`、/  /
     ヾヽ     ,,___  // /゙|~"`メ 、
      ヾ、   〈゙t 、`ヾ/ /  |/   ` `、 、
       ヾ 、  .〉ンヽ、ヽ/  /゛       ` '、 、
         \/ /  〉r;.〉 /             ` 、 、
         //  /,ヾ゙,!/                  `  、_.、
        //  / 〈、`=ー__               _,,,,,....--`ニ__、_、
       ヾ<"~  /` ゙ ‐- 二 ─ -- - ‐ ――  ̄   _,,,,,,_   `  、_
         ヽ―"゙         ̄ ― -- ― ― ー "  ̄       ̄ "゙''ヽ、 `rー-、
                                              `‐!   }`>
                                                `ー-'´




292 :名無しのやる夫だお:2010/04/19(月) 14:35:21 ID:dtsGtkVA
>>223
連弩は普通の弩や大型の床子弩と共に、春秋戦国時代に既に存在(湖南長沙などの戦国時代の墓の中から出土)
ただし固定砲台あつかい。
孔明がしたのは、個人で携帯できる様に小型化した事。弩の普及率は唐時代の国軍で約2割(50人に2人)だから、
後漢時代は1割未満(弩は当時のハイテク兵器なんで、大量生産に経済力の裏づけが必要)。

よほど条件整えないと単独で圧倒は不可能。どこかの古代中国小説で野戦で気軽に弩の三段打ちしてた気がしたが、
射程が20m前後じゃ、ふつう騎馬隊のいい的。戟や矛で槍ぶすまを作り、その後ろから攻撃。
その準備がいらない守・攻城戦での使用こそ本懐。


305 :名無しのやる夫だお:2010/04/20(火) 15:25:01 ID:luXibsSQ
>>292
20mじゃ無いですよ。
弩の軍における基本射程は100~150mで、飛ばすだけなら810mは飛ぶそうです。発射間隔は10~15秒。
ただ、よく訓練された騎兵なら射程圏内に入ってから弩兵に到達するまで1~2発しか撃てないそうなので、
言いたい事は間違って無いですが。

あと三段打ちは南宋の武将、呉璘(ごりん、社長の女装を思い出す名前……u)の疊陣(じょうじん)が、
中国での元祖のようですね。1列目が槍衾で、2~4列目が交代で弩を撃つようです。
ソース元(武器と防具 中国編/篠田耕一、著)

310 :名無しのやる夫だお:2010/04/20(火) 17:03:40 ID:Hga0COiA
家にあるその本でも”発射間隔は10~15秒”となってたけど、西洋のクロスボウの射程が300m。
発射間隔が1分に1~2発なんで眉唾。作者が文献を鵜呑みにしたのでは?

戦国時代の日本の鉄砲は確か、種子島の最大射程700m。(長篠の合戦における武田方の)殺傷(基本射程)距離165m。
織田側の種子島は殺傷(基本射程)距離220m。装甲貫通距離は50m前後。
戦国時代に使用された、重藤弓の最大飛距離が400m。殺傷(基本射程)距離は80m。装甲を貫通できる距離30mほど。


311 :名無しのやる夫だお:2010/04/20(火) 17:13:49 ID:b0ogEYZw
弓の強さによっても発射間隔は変わってくると思うんだけどどうなんだろ?
射程300mの弓を引くには力も時間も要るけど、
射程150mの弓だと多少は楽に準備できるから早撃ちできるとか。


312 :名無しのやる夫だお:2010/04/20(火) 17:28:47 ID:imPctMMA
>>311
弓の強さ(及び弦を番える形式)で発射速度が違うのは確か。

手、レバー、足、片手巻き上げハンドル(クレインクイン)、
両手巻き上げハンドル(ウィンドラス)、みたいな順で発射速度が遅くなる。

もちろん、小型で弦の張力が低い方が発射速度が速いのは確か。


313 :名無しのやる夫だお:2010/04/20(火) 18:12:31 ID:b0ogEYZw
>>312
ということは>>305のは高度に訓練された弩兵なら出来なくはないってことか。


314 :名無しのやる夫だお:2010/04/20(火) 18:23:46 ID:imPctMMA
>>313
実戦だと当然もっと低下するだろうからあったとしても理論値じゃね、という気はする。
射程と精度と発射速度はどれも排他的パラメータだし。


315 :名無しのやる夫だお:2010/04/20(火) 18:57:46 ID:i98NGdpQ
「訓練された弩兵」か、中国ならあり得るのかな
クロスボウは素人が扱えるというのが最大の利点であって
訓練するならロングボウの方がメリットが大きいという結論になる…のは
西洋は重武装でクロスボウも強力化を求められたという視点が必要か

318 :名無しのやる夫だお:2010/04/20(火) 19:47:12 ID:o9jTdcmw
>>315
西洋じゃ対騎士クロスボウは禁止令出るぐらい強力だったらしいが、騎馬民族相手だと騎馬の数が違うからねえ
東西の騎馬・弓対決は夢があるけど、どう比較していいのかわからないね

320 :名無しのやる夫だお:2010/04/20(火) 20:45:16 ID:m.9jQFKQ
和弓は長弓としては心得があれば女が扱えるほど軽く
取回しが簡便で、射程も長いというチート武器
竹ってすごいね

クロスボウは騎兵相手じゃ、初撃で先鋒を皆殺しにするくらい数揃えない限り倒すのは難しいだろうな
番えるのに時間かかるし
それこそ三段撃ちみたいに多段構えで乱射出来るような練度がないと
鉄砲もライフルが出現するまでは騎馬相手には爆音で混乱させられるという副作用があるクロスボウみたいなもんだし
有効な防御手段である槍衾や馬防柵も突撃を止めるくらいしか出来ないから、弓騎兵相手だとヒットアンドアウェイでお終いだし
騎馬の機動力の反則ぶりばかりがクローズアップされるな、近代以前は

管理註釈
[弩の性能]
弩の強さは
1石(約26.7kg)~10石(約267kg)まであり、標準は6石(約160kg)。
5石弩は射程120歩(165m)
6石弩は185歩(250m)

               __
              /∠.      ,.イ
            _丶y'ーY   / |
           (. `>‐、ノ、/   |
   ,∠'rラz:_    `T^ーヘ/、     l
r;-‐' ッ レ'⌒ヾゝz._  | / \ヽ   /
`ラ゚ニ二フ     `>、z.;∠ー--}`\∠.._ _,ノ'-ーz.__
  `' ー-\-‐''´  /| |.  / /゙\  ヽ⌒ ー-一"`
       ヽ_ー-∠_'ニL._!,. イ-┘    l
     _/   ̄   ̄ |ヽ. \      l二ニ._‐-┐
   /,.‐-ゝ/  ,. -‐  ノ ノ>=、〉>- 、..__,゙二ニヽ` '┘
  〈 <    / /` ー-∠イニラ"         }. L、
   ∨'   〈.〈                  `ー-ゝ
        ヽ`>
          ‘´


301 ::どこかの名無しさん:2010/04/19(月) 23:37:49 ID:vsxRiOJU
>>292
>戟や矛で槍ぶすまを作り、その後ろから攻撃。
それってスペインの「テルシオ」だよと喜多方のCCOの人なら絶対指摘するね。
いや同じ用途・能力の武器なら必然的にそういう組合せになるんだよね。

管理註釈:
中国戦史では木製が鹿角木(ろくかくぼく)、槍製が拒馬槍(きょばそう)という
名称。使い捨てなので、よほど装備に余裕があるか、臨時に陣を築く時、守城戦時
などに限られたようです。

307 :名無しのやる夫だお:2010/04/20(火) 16:04:52 ID:cJl4ITB2
「阻む」という守勢にしかまわれないぐらい、
昔の騎兵は他の兵科と比べて相対的に強かったんだな。

309 :名無しのやる夫だお:2010/04/20(火) 16:16:04 ID:imPctMMA
>>307
というか、何時どこで戦闘するかを選べるのは騎兵の側なのよ。
有利だと思ったら戦い、不利だと思ったら交戦を避ける。

だから遊牧民族が厄介だったわけで。

316 :名無しのやる夫だお:2010/04/20(火) 19:09:10 ID:vzjm6KP.
>>307
歩兵の密集陣形は騎馬隊に各個撃破されないという目的が大きいとか

日本みたいに山と湿原ばかりとか様々な要因で騎馬隊の脅威がなかった場合
密集陣形がほとんど発達しなかったみたい


317 :名無しのやる夫だお:2010/04/20(火) 19:33:39 ID:7.O6QZV.
デカい密集隊形で行軍するような大平原もないしな…

321 :名無しのやる夫だお:2010/04/20(火) 20:52:45 ID:imPctMMA
>>320
その分、騎兵は馬も、乗り手も、指揮官も、揃えるのが大変だけどね。
特に鐙が発明されるまでは。

色々問題起こしつつ社長とその配下が酷く罰せられなかったのは、
やはり代替の効かない戦力だったからだろうし。

      ,  ´ ̄`Y´  ̄`ヽ
    /            \
   /               ヽ
   ,' / ,   /  ,   i  |  i ヽ
   | i ! / / イ ! |  / / | |/
    i | //∠/| / //_|∠| /i/
    〉-、 |`‐゙='-`| //-゙='‐1‐v'    敵はみんな殺してしまえ!
    !f`i i|  ィ   '〈!'    ,|f リ
    .ヽニ/ .!  iニニニ'7  /ァ'     ワハハハハ
    レ   |   v-y  //-‐ 1
    / o  |\ ` ̄ .イ/   |
   d  ,. -‐┴i ヽ- ' ! _, ―┴ァ
  ‐┴'    o | ̄ ̄ ̄「    /


[騎乗の利点] 管理註釈:教えてgooから引用。

古代の騎兵は、鐙や装甲の関係もあって、衝撃戦法をあまりしませんが、
中世の騎士の突撃が一時期無敵のように振舞えたのは、
人馬の突入を押し留めるのが非常に困難なためです。

敵の突入をうけて陣形、隊列を裂かれてしまうと、統制が取れなくなり、
混乱し、部隊は組織として行動できなくなるので、後退を余儀なくされます。

そして後退はさらなる混乱をうむので、潰走につながるというわけです。
古代においては、必ずしも騎兵はこのような役割ができなかったので、
二頭立ての戦車や、象が使われたわけですが。

次に機動力があげられます。機動力とはすなわち自分で
歩かなくて良いということです。

疲労は戦闘では非常に重要であり、実際の戦場では丸一日歩き
続けることになるのでわけですから馬は命綱となりえます。

また騎乗のもうひとつの利点は、徒歩の兵士よりも高い位置にあるので、
位置エネルギーが利用でき、打突では有利となるだけでなく、
場合によってはスピードも利用できるわけで、ごく単純に考えても
衝撃力はスピードの二乗にもなるので、
前述の突貫力と合わせて、騎兵が有利なポイントとなります。

しかしもちろんこのような騎兵の特徴に対しても、対抗策があり、
騎兵が歩兵よりも単純に強いというわけではありません。

対抗策をとれば、騎兵の利点は失われ、歩兵の数が圧倒的に力を
もつようになる。

あ、基本的に馬を大量に容易するのは、古今東西で限界があるので、
騎兵と歩兵の比率が逆転するようなことはなく、騎兵は常に
少数・劣勢です。
対抗策はいくつかありますが、柵、斜面、長槍(パイク等)、
銃剣、方陣などが代表的です。
要するに動きを止めればいいということです。

騎兵隊と槍歩兵隊という集団では槍歩兵が方陣形を組めば騎兵隊は
攻撃できません。しかし槍歩兵部隊も攻撃できません。


         <、⌒`ヽ、     γ'" ̄~`ヽ彡∧
     γ'"⌒`ーヽ   ヽ、_  ノ ミ"ー‐''ν ・ \
     ('⌒ヽ、   |       `ヽ、 C,,,゚Д◆ミ  |._)
         `ヽノ__,--――‐,-‐'"⌒)フハミ ヽ
              ヽ、_,ノ=(⌒ィ[二二二二二二二フ
                    ~/===〈'⌒ヽ ̄~`,-、
                    ヘ 人   ̄ノ⌒)   /
                  爪 ̄~~`ヽ`ーフ'⌒/ / .rヽ
              ~<三彡ソ`ー―"ヽ(⌒) 人.ノ|__〉
                γYヘ(`ー―‐'"|__/ ̄\ヽ
                / /!,,γ^`ー  .|    /__〉
                / /  / .人___ノ
               (ソ ./ ./ 三三三三三三三三二
                  ./ ./二三三三三三三三二
                三/ ./三三三三三三三三
                 /_〉三三三二


[騎乗の利点2]

1対1では競馬のレース場で馬が走ってくるのを物干し竿構えて
止められますか?

実際の戦場では競馬ほどのスピードはだしませんが、いきり立った
馬が駆けてくるだけでその恐怖に普通の人はにげます。

次に、騎兵はあなたを攻撃してきます。あなたはそれを防御しつつ
攻撃しなくてはなりません。このとき攻撃してくる騎兵と
(あなたが弱点だと思っている馬の足への攻撃)とあなたの注意は
二分されます。

三つめに上記のかたも書いていますが高さとスピードです。
高さというのはそれだけですでにエネルギーがあります。
また見晴らしも良い。

騎兵はスピードがあります。これもエネルギーでありランスチャージ
だと穂先は無くても当たれば吹っ飛ばされます。

当時の馬術は馬も歩兵を攻撃しました。それは後ろ足で立ち上がり前進し、
前足で歩兵を攻撃したり、後ろを向いてのキックなどがあります。

また追い詰めるときの馬の動きは闘牛のピカドールが牛を追い詰める動き、
あるいはカウボーイの牛を追い詰める動きを見るとわかりますが、非常に早い。
これは乗り手ではなく馬が自分の判断で牛を見てもっとも最適に相手を
追い詰めるように自分で考えて動くのです。


      V ` ー-ノ __       ヽ.  |       /..-…イレ'
      |   /∠.._  ヽ  ヽ. |  | ,. -─ 、ヽ    /
      ト、  |  , 二ヽ\_ ,! |  レ ,.-_―_¨ |   /、
      /ハ.   |   l   o`ヽ_ノ. |  レ' ´。  〉 |   ,ム.|
     { rハ  |   `ー─_ .'イ' |  ト_ー─ '  ,  /7/
      \ ! |      !::::!  | /      i / ン
        ∧ハ|.        `   j/        ,..イイ
      ハ:::`|        `  ´      イ::::ノ|   お前に足りないものは(略)
       | Vハ     /_二二二二ヽ     // 7           速さが足りない!!
      ハ \ \.  |::::::_ _::::`|    ,. '  /!
    /  ヽ  \.ハ  |V      V  /   / \
   /      !   \ | !     '/ /    /'   \
. /           'i ヾ. -----'/ /    ,       ` .
             |  ` 二二´ '                ヽ
             | ゝ───'7                 \
             |       /                     \  


457:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします

唐突な質問なんですが、牧畜によって大富豪に…というのは、

・馬→軍馬・馬車等に使うため多数必要
・牛→農業・祭事に使うため多数必要
・羊→毛織物に使うため多数必要

ということで、数多く取引されたから…みたいな解釈で宜しいでしょうか?
現代の生活からすると、いまいちピンと来ないんですけど…。

以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします
>>457
約170年後の話にはなるが、

>馬一頭の値段で霊帝当時、劉備が初任官し た署長クラスの官が買えたくらい。
>牛は屯田制でこれの有る無しで 官民の取り分が一割違ったことを見ても分かる

と某スレにもあったとおりこの時代牛馬を持ってるだけで色々金の融通が出来た
と見て間違いないと思う。

いまでもいい馬買おうと思ったら最低100万は出さなきゃならんからなww
下手打つと億出さざるを得なかったり


.         /: : : : : :/:/:::::::::::::::/  ヽ  ,>'": : : : : : : : : : : : : : : .、/ノ
        /: : : : : : '::,'::::::::::::/     レ'´: : : : : : : : : : : : : '' ¨ ̄ ̄/丶
.        ': : :..: : : ,':::l::::::::: /     /: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : /: : : :\
        l: :.::: : : :,'::::l::::::::/     /: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :.イ./: : : : : : :\
        |: .:: : : :.l ::::!:::::::'     ': : : : : : : : : : : : : :/: /: : :./:.ム!∠|: : : : : : :.ぃ、
        |::::: : : : !:::::|:::::,'     ': : : : : : : : : /: ::::.イ:..イ: :.::::|::!    |: : ::|: : :|ハ ',
        |:::: : : : !::::::|::: !     |: : : : : : :`''.く」_:./ !:/ !: ::::イ:.|   |: : ::|: : :| : il::l
       |:::  ::|:::::::|::::;     .∧:::!.: : : : : :|__!/>|! l: : /|.l x‐¬./: :|: : :|: !l:j
       l::: : : : !:::::: !:::|    / Ⅴl: : : :: :::レ'ち示ミ''ヽ l !|≦zトx〃: :|: : :li:: ||
.        |: : : ::::!::::::::!:::!   ./  ハ: !: : ::::Ⅵ 辷之  `! ´ 辷ソ/イ::::./:::: :| |::l   
         ', : : : :!::::::::|:::!  ./  / Ⅵ: :. :::ト、!゛¨¨´    、`''`’ ハ|:/::|::::/ .l/
          ',: : : :|::::::: !::レ'′  , '   ぃヽ: :::! \   __'   / !'´:〃/ /
          V: : :!::::::::レ'′  /    Y''ヽ:::' 、   /   /  ノ|'|:/l:/ /
.            V: :|::::/  /      _」// ト、 ヽ、 ヽ  - ′.イ//!.//./′ 馬超、尿意をこらえんとするのこと!
.         ∨:レ′ ∠ ___, イ |///! '7,= -ィrー<  !/.イ′'   
.            冫   /      | |_  =!// |、//  //_ -―‐」//|― 、
.          /  ,イ      .| |‐'´ ̄|// | >rーi/ ̄ ̄¨|//|'7  \
          /  /        | ト、   !ー |  _| 人_    |ーレ′   \


管理註釈
馬の平均的な寿命は、20〜30歳。昔は女性は騎乗するときは横座りでした。

鐙(あぶみは)は三国時代でも確認できません。演義では描かれてますが。
ただ全く無いと言うわけではなく左側にひとつ垂らし、
ステップとして使用していたと考えられるそうです。
座位の固定にはまだ役不足でしょうが。

騎兵は当時エリート兵科。漢代の比率は手元に資料が無いんですが戦国後期の編成では
歩兵1000。戦車(馬車・人力車)1。騎兵10の比率。
200年に袁紹が曹操と戦うために動員した数も確か歩兵10万に対し、騎兵1万とか。
年代的に100分の1~10分の1の間、おおよそ50分の1前後でしょうかね。

[おおよその軍の基本装備まとめ]

民兵など武器のみ兵6:装甲歩兵2~2.8:装甲弩兵1:騎兵(将校含む)1~0.2
*弓兵の比率は推測できず。
*鎧の無い者には製作の容易な盾が支給されていた。
*敵の装備を奪ったり、奪われたりして多少は前後したかと。

匈奴や騎馬民族の主武器は弓矢。
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